2023年12月10日、ホノルルマラソンを完走しました。10年ぶりのハワイ。フルマラソンに参加したのは28年ぶりです。
この大会を経て、私は自分自身の15年後の世界を体感するという、時空を超えた経験を得ることができました。
■夜明け前の花火とともに始まった42.195キロ
久しぶりのハワイでした。コロナ禍を経て現地の様子は一変。昨今の円安も相まって日本人観光客が激減し、日本語で接客してくれる現地の方も随分と少なくなったと感じました。
それでも同大会には、フルマラソンと10K ラン&ウォーク等を合わせて29,836人が参加。その内、日本人は9,545人で、対前年比で2倍に迫る勢いだったとのことです。
世界一美しいマラソンコースとも言われるこの大会ですが、時間制限はなく7歳から参加可能です。
スタートは朝5時。何発もの花火がアラモアナパークに打ち上げられ、42.195キロのフルマラソンがスタートしました。
■朝日に染まるハワイの絶景、6時間半完走に向けて
走り始めてから2時間、12キロ地点を過ぎたあたり。オアフ島のシンボルであるダイアモンドヘッドを駆け上がると、美しい朝日が出迎えてくれました。早朝にスタートするからこそ楽しめる、ホノルルマラソンの人気の景色のひとつです。
この大会に向けて4年前から準備を始め、トレーナーの先生の個人指導も受けながら、地道なトレーニングを続けてきました。レース当日も体調が良く、このまま行けば6時間半で完走できると思いました。
体調の異変は30キロ地点を過ぎた時、急に訪れました。
■ラスト12キロ地点での体調異変
レース中盤の難所カラニアナオレ・ハイウェイ。景色の変化もなく単調な道のりが6キロも続きます。ここもなんなく走り抜け、30キロ地点を過ぎたころです。
この日、ワイキキの最高気温は30度。南国の日差しが体力を奪い始めました。さらに、疲労による眠気が追い打ちをかけました。
身体の表面の生き血がなくなっていくのを感じました。「身体が壊れたらどうしよう」。そんな不安がよぎりました。
骨にかかる振動に耐えながら、それでも止まることなく走り、時に歩き続けました。時間かけてもいいから完走しようと気持ちを切り替えて、結局フィニッシュラインに辿り着いたのはスタートから8時間後。ゴール直後は全身筋肉痛で身体を動かすことができませんでした。
■幾重もの層のミルフィーユみたいな筋肉痛
通常、筋肉痛は局部や表面が痛かったりするものです。
今回の痛みは、例えて言うなら「ミルフィーユのような筋肉痛」。痛みの治りが、何枚も重なった筋肉の層が一枚づつ剥がれていく感じなので、いつまで経っても痛みがとれません。
また、筋肉の層が歪んでいるところ、複雑なところほど痛く、回復も遅い。全身は回復して良くなっているのに、その部分だけ回復が遅れる。安静にしているのにいつまでも筋肉痛がとれない。身体の調子はいいはずなのにまだ痛い、という状態です。完治にはおそらく3か月くらいかかるでしょう。
歳を取るということは、こういう世界なのだと感じました。
■予測していた世界と緩やかな新たな目標
今迄も予測していたことですが、15年後に自分自身が後期高齢者になるということが、なんとなく自分の中で受け止められてきたように感じています。
それは、気血の流れが悪いとか、動きが遅くなるとか、不安だとか、そういう世界です。それに加えて、経済的な不安、お金の問題も発生するでしょう。
その世界の中で、なんとか自分で有意義に生きていける人、生きていけない人に分かれていくのかもしれません。
年齢と共に全身疾患や癌、また認知症を患い、病院治療や介護を必要とされる方もいらっしゃるでしょう。
他方、大病ではないが昔ほど体調がよくないという方が増えてゆくと思います。鍼灸治療はそのような方に利用される機会が増えてゆくかもしれません。
さて、数年来の目標だった「還暦フルマラソン完走」という目標を達成した私が次に目指すゴールについてです。
今後は私が走るというよりは、ランナーの方に向けて統合医療的なサポートをするような会を作り、施設を利用して体調管理をしていただく等々。まだ緩やかではありますが、そんな新たな企てに思い巡らせているところです。
どうぞゆったりとご期待いただければ幸いです。